2020年度地星社で開催したソーシャルライター入門講座受講生の記事が完成しました。今年度は新型コロナウィルス感染予防のため、オンラインでの開催でしたが、受講生同士がすっかり親睦を深め、オンライン交流会まで開催した盛り上がりとなりました。5回の講座+取材体験を通して仕上がった力作です。
ぜひご覧ください。
2020年度地星社で開催したソーシャルライター入門講座受講生の記事が完成しました。今年度は新型コロナウィルス感染予防のため、オンラインでの開催でしたが、受講生同士がすっかり親睦を深め、オンライン交流会まで開催した盛り上がりとなりました。5回の講座+取材体験を通して仕上がった力作です。
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「ふらむ名取」は、津波被災によってバラバラになってしまった名取市閖上地区の人たちの心を、再びつなぐことをめざして活動している団体です。「もう一度、心ひとつに」をスローガンに、広報誌の発行や語り部活動、復興住宅でのコミュニティ支援活動を通して「心の復興」に取り組んでいます。
■取材先:格井直光さん(ふらむ名取 代表理事)
■取材日:2020年11月21日(土)
■取材・文:中山 透
■団体概要:
団体名 一般社団法人ふらむ名取
所在地 名取市大手町5丁目6−1 名取市市民活動支援センター内
「小さい頃、閖上が嫌いでした」と語るのは、「ふらむ名取」代表理事の格井直光さん。故郷が漁業の衰退と共に活気を失っていくのを見て失望していたのです。しかし、歴史好きで地元に詳しかった格井さんは、ある時、友人に「いいところだな」と言われたことから閖上の良さに目を向けられるようになったといいます。そして、東日本大震災。格井さんの故郷は、見るも無残な姿になってしまいました。以来、格井さんは、失われた閖上の人たちのつながりを取り戻すため、走り続けています。
震災後の避難所で、格井さんは子どもたちが「閖上は海になった」「もう戻れない」「嫌いだ」などの言葉を口にするのを耳にしたそうです。住民たちは、現地復興か集団移転かをめぐって意見がかみあいませんでした。「なんでこんなことに」と思った格井さんは、バラバラになった閖上の住民が集まるきっかけとして芋煮会を開催します。そこで人びとの話を聞いた格井さんは、必要な情報が届いていないことが対立の一因ではないかと感じ、情報共有のため、「閖上復興だより」を発刊し始めました。
さらに、閖上には昭和8年の三陸大津波の教訓を刻んだ石碑があったにもかかわらず、時とともに忘れ去られ、被害を拡大させてしまった事実を知ると、その轍を繰り返さないようにと、震災の教訓を伝える語り部活動も開始します。語り部活動は、津波の教訓を整理し、自分以外の体験も伝えながら、閖上の経験を他地区の防災に生かせる視点を大切にしたものでした。
格井さんは仮設住宅でも、コミュニティ再生を目指して餅つき大会などのイベントを行ってきましたが、こだわったのは、住む場所よりも閖上の「心」でした。閖上でイベントが開催できるようになってからは閖上での開催にこだわって来ましたが、住民に呼びかけたスローガンは「閖上に行きましょう」でした。「もどろう」ではなく「行きましょう」としたのです。違いを超えて閖上への想いだけでつながろうとする「心ひとつに」の心情があらわれています。
震災後5年後の閖上で行われた湊神社例祭、熊本地震への応援メッセージを贈る
復興工事の完了が見えてきた2019年、格井さんを中心とした「閖上復興だより」と「震災を語る会」、コミュニティ再生支援をしてきた「名取交流センター」の3団体が一緒になり、新たに「ふらむ名取」が誕生しました。震災・津波とその後の復興の中で、住むところも心も離れてしまった人たちを、「閖上」を核にして、もう一度つなげることが最大のテーマです。格井さんには、避難所で見かけた子どもたちに「いい閖上を残したい」という強い想いがあるのです。
2019年5月に「まちびらき」が行われて、再び閖上での生活が始まりました。住居という基盤はできましたが、人と人のつながりを取り戻す心の復興はまだこれからです。「閖上復興だより」は「閖上だより」として再出発し、年4回の発行で、閖上で生活する人と、震災前に閖上に住んでいた人に届けています。また、災害公営住宅では、以前の閖上の活気を写した写真を見る会を催すなど、継続的なコミュニティ支援活動をおこなっています。
その時その時に合わせて新たな活動を展開しながら、閖上の「心がひとつ」になることを目指し、格井さんの奮闘は続きます。
今も事務所に掲げられている「閖上復興だより」の題字
副題に「もう一度、心ひとつに」の願い
ふらむ名取は平成29年4月、閖上における東日本大震災の教訓を伝えるため、宮城県名取市閖上にて格井直光さんが立ち上げました。被災住民の自立とコミュニティ再生、新しいまちづくり活動の一環として、見守り活動や芋煮会などを行っています。また、住民の活動や町の状況を伝える『閖上だより』も年に4回発行しています。
■取材先:格井直光さん(ふらむ名取 代表理事)
■取材日:2020年11月21日(土)
■取材・文:浅野 明莉
■団体概要:
団体名 一般社団法人ふらむ名取
所在地 名取市大手町5丁目6−1 名取市市民活動支援センター内
「『もう閖上なんて、嫌いだ』という子どもたちの言葉を避難所で聞いてハッとした」と格井さんは語ります。
閖上は、東日本大震災の影響を大きく受けた地域です。子どもたちが大好きだった閖上は、多数の死者を出しました。津波による流出家屋も多く、避難所で生活する人が多くいました。未曾有の大震災に人びとは大混乱。町も、住民も一生懸命活動していましたが、途方に暮れるような毎日だったといいます。その中で聞いた「もう閖上なんて、嫌いだ」という子どもの一言はとても響いた、と格井さんは言います。
「嫌いだと言ったのは、きっとこの町が大好きだったから、そう言ったと思うんです。住民が生き生きしていた、お互いに支え合っていたかつての閖上のようにできたら、と考えました」
いろいろ話を聞く中で、一つ分かったことがありました。それは、閖上地区には以前にも大津波が来ていたということです。昭和8年の3月3日、今から約80年前に大津波が来ており、そのことを伝えるための石碑が日和山に設置されていました。しかし、そのことを知る住民はほとんどいませんでした。その結果、東日本大震災の発災後、一度は避難所に行ったものの、荷物を戻りに家に帰り、命を落とした人が多くいました。14時46分に地震が発生した後、名取市に津波が到達したのは15時52分のことでした。その間、1時間7分ありました。このことから格井さんは、一度避難したら戻ってはいけないことを伝えるため、伝承活動を始めました。
南三陸地震津波の石碑
石碑のあった日和山の当時の状況
ふらむ名取では現在も、地震や津波の事を伝えるべく、語り部活動を行っています。閖上であの日起きたことを伝えていくこと、それが多くの人に伝わることが、減災につながると考えています。中には海外から話を聞きにくる人もいます。
そして、現在とこれからの閖上を伝えていくため、『閖上だより』を発行しています。元は『閖上復興だより』という名前で発行していましたが、60号を迎え、2020年からは「閖上だより』と名前を変え、新たにスタートしました。『閖上だより』には、閖上地区に新しく出来た建物のこと、地域や学校で行われたイベント、地域住民のコラムなどを掲載しています。地域の方と関わり続け、閖上のコミュニティ再生に向けて活動し、町が前に進んでいる様子を発信し続けています。
震災から約10年がたち、ハード面は整備が進み、道路や多くの建物ができました。これからは、あの日何があったのか、どうやって町が再建して来たのかという過程を伝えていくことが、震災伝承となり、閖上の人にとっても他の地域の人にとっても、災害が起きた際の教訓となるでしょう。
閖上の町では様々な人が立ち上がり支え合いながら、震災に向き合い、進み続けています。災害はいつ起きるかわかりません。もし、起きてしまったその時に一人でも多くの人が行動できるよう、ふらむ名取はこれからも震災と復興の記憶を伝え続けていきます。
「ワッショイ!DEN×3」は、名取市下増田地区にて、多世代交流イベントを通して地域を盛り上げている団体です。下増田の住民たちが地域資源を活用して、サツマイモの栽培や収穫を行う親子体験、地域の歴史探訪などの活動を行い、魅力ある地域づくりに取り組んでいます。世代を超えた新たな交流を目指す活動の様子を取材しました。
■取材先:代表 武田昭夫さん、メンバー 武田清一さん(ワッショイ!DEN×3)
■取材日:2020年11月27日
■取材・文:沖澤 鈴夏
■団体概要:
団体名 ワッショイ!DEN×3
所在地 名取市美田園7丁目22-3
下増田公民館での取材の様子。
資料を見ながら丁寧にご説明いただいた
約3年前、下増田公民館が主催した『地域力向上講座』から、ワッショイ!DEN×3は生まれました。「地域にある資源を活かしてどんな活動ができるか?」というテーマでワークショップを重ねた結果、地区の町内会等と連携をしながら、サツマイモの栽培や収穫を行う交流イベントをやってみようということになったそうです。団体名は「わっしょい!でんでんでん」と読み、『DEN』は田んぼの“田”。下増田、美田園、公民館の昔の住所にあたる「田子作」の、3つの田を表しています。
現在下増田地区には3,100世帯8,100名が住んでいます。震災後、防災集団移転等で移住してくる被災者の方も多くいたそうで、「人口が急激に増えていく中、新旧住民の交流が必要だった」と、代表の武田昭夫さんはおっしゃいます。団体理念は、“みんなが笑顔の輪・和でつながる魅力ある地域”。地元住民も移住者もお互いを知り、新たなコミュニティを築いていくために、多世代が楽しみながら関われる交流イベントを行うこととなりました。
サツマイモの収穫の様子。
子どもから大人までが夢中になって作する
活動が始まると、実行部隊の声がけに対し、近隣の企業や公民館、町内会、PTA等との連携ができたそうです。サツマイモ畑は地元の地権者の方に借り、植え付け前や収穫後の畑の管理は地域の農家さんにもお手伝いいただいています。昭夫さんは行政区長や地域内の他組織のリーダーでもあり、様々な機会をうまく活用しながら、地域のみなさんに声掛けをしています。団体メンバーで、下増田公民館地域連携推進員の武田清一さんも、地域の人と人をつなぐ役割をしながら協力者を募っているということでした。「声を掛けると、多くの人が協力してくれて本当に有り難い」と笑顔でお話くださるお二人の人柄が、地域から愛される活動の原動力となっているように感じました。
サツマイモの苗植えイベント(2019年5月)。
この日は70名もの参加者が集まり、2時間弱で作業が終了した
多様な団体と連携ができたおかげで、イベントの参加者も小さな子どもからお年寄りまでと幅広い世代となり、すっかり地域の恒例行事となりました。継続するにつれ、参加者から新たなアイデアが出るなど、現在は活動の幅がさらに広がりつつあります。今後の活動の展望は「小さくても活動を継続させ、成功体験を積み上げていきたい」とのこと。
「みんなで話し合い、決めた理念に沿った活動をすればブレない。子どもからお年寄りまで、笑顔あふれる地域にしたいですね」
世代を越えてみんなが楽しみながらゆるやかにつながる下増田の地域づくりは、実践と成長を繰り返しながら、これからも続いていきます。
閖上太鼓保存会は東日本大震災で大きな被害を受けましたが、困難を乗り越え、活動を続けています。老若男女入り混じったメンバーが力強い掛け声とともに太鼓の音を響かせる保存会の活動を取材しました。
■取材先:三浦勝治さん(閖上太鼓保存会)
■取材日;2020年12月19日
■取材・文:長岡大季
■団体概要:
団体名 閖上太鼓保存会
所在地 名取市閖上公民館
閖上太鼓は平成2年、全国的な「和太鼓ブーム」の中、健全な青少年育成と地域おこしを目的に始まりました。平成4年には保存会が設立され、以後、市内での演奏に留まらず、海外公演やアーティストとのコラボレーションもするなど、精力的に活動を行ってきました。最近はコロナ禍で演奏機会が減っていますが、令和元年度は約50回演奏を披露しました。
「小6の時、よく分からないまま公民館に連れて行かれたら太鼓があったんです。でも、叩いてみると楽しくて、そのまま今まで続けています」と話すのは、代表の三浦勝治さん。現在は鼓手としてだけでなく、教える立場としても活躍しています。和太鼓には撥の持ち方や姿勢、リズムの取り方、舞台での振る舞いなどの所作があり、基本である4拍子のリズムを正確に叩くのにも反復練習が重要といいます。ただ、閖上太鼓保存会では、上手に叩くことよりも、太鼓を叩く純粋な楽しさを大切にしているそうです。
東日本大震災では閖上地区も大津波に襲われ、住民、建物、練習場所や太鼓も流され、大きな被害を受けました。しかし、その2ヶ月後には「太鼓を叩きたい」と再びメンバーが集まってきたそうです。地区外の会場を借りたり、寄付を集めて太鼓を修繕・購入したりと、日本全国の多くの人から支援をいただき、活動を再開。「再び太鼓を叩いたときの嬉しさは忘れられない」と三浦さんは語ります。演奏を聴いた住民から「励まされた」と声をかけられ、太鼓を叩く喜びに加えて、閖上を盛り上げた喜びを感じたといいます。「再び太鼓を叩きたい」という保存会のみなさんの情熱は、生活を再建しようと奮闘する住民の心を照らしたのです。
保存会が演奏する保存曲「閖上大漁太鼓」には、港町・閖上の誇りが詰まっています。この曲は、閖上に伝わる民謡2曲をまとめて編曲されました。音の大小は波のうねりを表現し、撥を振り上げる動作は漁師が網を引き上げる動作を表現しているそうです。また、衣装のモチーフは漁師達が昔着ていた祝着であり、演奏時には漁業で使われる網も登場します。保存会のみなさんにとっても思い入れのある曲で、三浦さんは「『閖上のもの』を残したい。閖上太鼓の音が閖上に根付くまで演奏し続けていきたい」と語ってくれました。
震災から10年。全国各地から多くの支援をいただいて閖上地区以外での演奏機会も増えました。「太鼓の演奏を通して、今度は感謝の気持ちを届けたい。呼ばれたら日本全国どこでも演奏します」と三浦さんは言います。支えてくれた人への恩返しと「閖上は元気です!」というメッセージを込めて、閖上太鼓はこれからも力強い音を響かせます。
みちのく潮風トレイル 名取トレイルセンターは、2019年にオープンした『みちのく潮風トレイル』の拠点施設。ハイカーのサポートやトレイルに関する情報発信、各種イベントを行うほか、地域の人との交流の場にもなっています。
インタビューに答えてくださった板橋さん
■取材先:板橋真美さん(みちのく潮風トレイル 名取トレイルセンター スタッフ)
■取材日:2020年11月23日
■取材・文:木立 芳行
■団体概要:
団体名 みちのく潮風トレイル 名取トレイルセンター
所在地 名取市閖上5丁目300番地31街区1画地
『みちのく潮風トレイル』は、東日本大震災で被害を受けた東北沿岸部の復興に役立てようと、環境省が青森県八戸市から福島県相馬市まで全長1,000km超えにわたり整備したロングトレイルです。
名取トレイルセンタースタッフの板橋真美さんは「トレイルには、登山とは違う感動があります。長い距離を歩けば歩くほど思い出が雪だるま式に増えるんです!」と熱っぽく語ってくださいました。
「親切なおじさんに声を掛けられ、そのまま家に連れて行ってもらいコタツに入れてもらいました。コタツの温かさはもちろん、人の温かさに胸がジーンとして涙が出ました」と話すのは、2ヶ月かけて全ルートを踏破した板谷学さん。板橋さんと同じ名取トレイルセンタースタッフです。
「トレイルを始めてみたいけど、何を準備すればいいの? ルートはどうなっているの?」と、初心者は戸惑うこともあると思いますが、大丈夫! 名取トレイルセンターは、初心者の疑問に優しく丁寧に答えてくれます。途中、交通機関を利用してOKだし、「セクションハイク」というルートの一部分を歩くハイクもあります。人それぞれ、体力や自分の都合にあった楽しみ方ができるそうです。
名取トレイルセンターにあった写真をパチリ!
お茶目な一面もある板谷さん
『みちのく潮風トレイル』を語る上で外せないのが、故・加藤則芳さん。加藤さんは、日本のロングトレイルの第一人者で、生前、東北太平洋沿岸にロングトレイルのルートを設定することを環境省に強く提唱していました。震災復興の取り組みとして環境省がその提案を実現化することになりましたが、病気のため2013年に他界。その意志を継いだ環境省の職員が地域の方々に協力を求め、ようやく完成したのが『みちのく潮風トレイル』です。名取トレイルセンターには「加藤則芳コーナー」があり、愛用していたバックパックや著書などが展示されています。誕生秘話に触れると、さらに歩いてみたくなるかもしれません。
「加藤則芳コーナー」 今にも本人が現れそう
『みちのく潮風トレイル』のルートは、新しく作った道ではなく、既存の道をつないで設定されました。その中には地元の人が生活に使っている道もあります。だから、地元の人との出会いがあり、交流も生まれるのです。
トレイルを歩くと、地元の人たちの温かいもてなしに出会うことがあります。アメリカのロングトレイルでは、ギンギンに冷えたコーラが置いてある。テントが張られて、バーベキューが準備されている。こんな風にハイカーをもてなす地元の人たちを、尊敬の念を込めて「トレイルエンジェル」と呼ぶそうです。みちのく潮風トレイルにも、そのようなトレイルエンジェルが各地に生まれているそうです。
「私たちスタッフも“エンジェル”の一人のつもりで、ハイカーのみなさんにトレイルを楽しんでもらいたいと思っています。」と板橋さん。
「ようやくつながったこの『みちのく潮風トレイル』が、次の世代も、また次の世代も、100年後も続くように、地域の人たちの力を借りながら守り続けていくのが私たちの夢であり使命です」と力強く語ってくださいました。
おしゃれで広々とした室内は開放感たっぷり
名取トレイルセンター 新しくとても綺麗です
みちのく潮風トレイルは日本一長いトレイルで、日本からのみならず海外からも問い合わせが来るほど注目されています。全線のルート情報や、ルート沿線のイベントなどの情報を発信し、トレイルを歩くための各種サポートをしているみちのく潮風トレイル名取トレイルセンターを取材しました。
■取材先:板橋真美さん 板谷学さん
(みちのく潮風トレイル 名取トレイルセンター スタッフ)
■取材日:2020年11月23日
■取材・文:宍戸 ちえみ
■団体概要:
団体名 NPO法人みちのくトレイルクラブ
所在地 名取市閖上東三丁目12番地1
100年続く道にしたい と話してくださるのは、みちのく潮風トレイル名取トレイルセンターの板橋真美さん。元、環境省の職員で、みちのく潮風トレイルを全線開通前から見守り続けてきました。歩くことで自然体験をし、人と地域が結びつき、人と交流する中で、ハイカーの心に温かい気持ちが芽生えてほしいと語ります。「みちのく潮風トレイル」を提唱したのは日本におけるロングトレイルの第一人者で知られている加藤 則芳 さん。40歳のときにライターとして独立して執筆活動を始めアウトドアライターというよりも自然保護の思想を研究し、日本に伝えていくことに情熱を注ぎました。加藤さんは2010年に筋萎縮性側索硬化症 ALS を患いましたが、2013年に亡くなるまで、可能な限り執筆活動や講演活動を行い、環境省に対し、東日本大震災後の東北太平洋沿岸に、長距離自然歩道を繋げることの必要性を訴え続けました。その思いが環境省に引き継がれ、地域行政、住民も動かして「みちのく潮風トレイル」が実現したそうです。八戸から相馬までを結び1000kmを超えるこの海沿いの道は、東日本大震災を契機に誕生しました。自然の恵みと震災の記憶を伝え、地域を結び、暮らし・歴史・文化を大切にし、美しい自然や景観を残していく役割を担っています。
みちのく潮風トレイルは “皆でつくる“ というコンセプトを大事にしていて、各地域での維持・管理に各市町村、民間団体、ボランティアの協力があります。道を設定する人、管理する人、整備する人たちによる地域の取り組みがこの ”道“ を支えています。このような地域の取り組みの基盤には、ルートを設定する際、国が地域の人々の声を丁寧に聞いたことにあるそうです。様々な立場から、人と人との対話が生まれ、このような信頼関係が築かれました。今もその信頼関係は続き、官民の連携を維持しています。
1000kmを超えるみちのく潮風トレイルの歩き方は、人それぞれ。グループで歩く、一人で歩く、二人で歩く、時間をかけて全線を一気に歩く、ルートを区切って部分ごとに歩くなど様々な歩き方があります。センター長の板谷学さんのスタイルは一人で長い距離を歩くスルーハイクで、自身も完歩した経験があるそうです。スルーハイクの魅力は、すべてにおいて自分で決める自由があり、それに対する反応が自分に返ってくる楽しみがあるところ。一人で決めて一人で歩く道は、叱られるわけでもなく、評価されるわけでもない。思ったり考えたりしながら歩き、地域の人に声を掛けられ人のやさしさに気づく。失敗したこともあったけど、トレイルの最後のほうは失敗を失敗だとは思わなくなったとのこと。完歩したことは達成感でいっぱいで、板谷さんは完歩してもなおまた歩きたいと話してくれました。
取材を通し、スタッフの方からはこの道をとても大切に思っていることが伝わってきました。みちのく潮風トレイルは皆で育てていく道であり次の世代にも次の次の世代にもその魅力を残していくのがスタッフの願いです。名取トレイルセンターを訪れて情報収集し、各地域の人々のあたたかさと自然の美しさに触れるトレイルの旅をあなたもしてみませんか。