地星社のブログ

社会をよりよくする活動を行っている人や組織を支援する宮城の非営利組織、地星社のブログです。

大好きな閖上をもう一度

 ふらむ名取は平成29年4月、閖上における東日本大震災の教訓を伝えるため、宮城県名取市閖上にて格井直光さんが立ち上げました。被災住民の自立とコミュニティ再生、新しいまちづくり活動の一環として、見守り活動や芋煮会などを行っています。また、住民の活動や町の状況を伝える『閖上だより』も年に4回発行しています。

■取材先:格井直光さん(ふらむ名取 代表理事)
■取材日:2020年11月21日(土)
■取材・文:浅野 明莉
■団体概要:
 団体名 一般社団法人ふらむ名取
 所在地 名取市大手町5丁目6−1 名取市市民活動支援センター内

心に残る一つの言葉

  「『もう閖上なんて、嫌いだ』という子どもたちの言葉を避難所で聞いてハッとした」と格井さんは語ります。

 閖上は、東日本大震災の影響を大きく受けた地域です。子どもたちが大好きだった閖上は、多数の死者を出しました。津波による流出家屋も多く、避難所で生活する人が多くいました。未曾有の大震災に人びとは大混乱。町も、住民も一生懸命活動していましたが、途方に暮れるような毎日だったといいます。その中で聞いた「もう閖上なんて、嫌いだ」という子どもの一言はとても響いた、と格井さんは言います。

 「嫌いだと言ったのは、きっとこの町が大好きだったから、そう言ったと思うんです。住民が生き生きしていた、お互いに支え合っていたかつての閖上のようにできたら、と考えました」

 いろいろ話を聞く中で、一つ分かったことがありました。それは、閖上地区には以前にも大津波が来ていたということです。昭和8年の3月3日、今から約80年前に大津波が来ており、そのことを伝えるための石碑が日和山に設置されていました。しかし、そのことを知る住民はほとんどいませんでした。その結果、東日本大震災の発災後、一度は避難所に行ったものの、荷物を戻りに家に帰り、命を落とした人が多くいました。14時46分に地震が発生した後、名取市に津波が到達したのは15時52分のことでした。その間、1時間7分ありました。このことから格井さんは、一度避難したら戻ってはいけないことを伝えるため、伝承活動を始めました。

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南三陸地震津波の石碑

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石碑のあった日和山の当時の状況

伝え続けるあの日のこと

  ふらむ名取では現在も、地震や津波の事を伝えるべく、語り部活動を行っています。閖上であの日起きたことを伝えていくこと、それが多くの人に伝わることが、減災につながると考えています。中には海外から話を聞きにくる人もいます。

 そして、現在とこれからの閖上を伝えていくため、『閖上だより』を発行しています。元は『閖上復興だより』という名前で発行していましたが、60号を迎え、2020年からは「閖上だより』と名前を変え、新たにスタートしました。『閖上だより』には、閖上地区に新しく出来た建物のこと、地域や学校で行われたイベント、地域住民のコラムなどを掲載しています。地域の方と関わり続け、閖上のコミュニティ再生に向けて活動し、町が前に進んでいる様子を発信し続けています。

いつか起きる、その時に

 震災から約10年がたち、ハード面は整備が進み、道路や多くの建物ができました。これからは、あの日何があったのか、どうやって町が再建して来たのかという過程を伝えていくことが、震災伝承となり、閖上の人にとっても他の地域の人にとっても、災害が起きた際の教訓となるでしょう。

 閖上の町では様々な人が立ち上がり支え合いながら、震災に向き合い、進み続けています。災害はいつ起きるかわかりません。もし、起きてしまったその時に一人でも多くの人が行動できるよう、ふらむ名取はこれからも震災と復興の記憶を伝え続けていきます。

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日和山からの景色