地星社のブログ

社会をよりよくする活動を行っている人や組織を支援する宮城の非営利組織、地星社のブログです。

「住みたいまち・帰って来たいまち岩沼」をつくるために

 生粋の岩沼っ子・小菅寿美さんは、生まれも育ちも岩沼市。就職先も「岩沼市社会福祉協議会」を選び、今は岩沼市で子育て中でもあります。小菅さんが仕事をする上で心がけていること、またその心がけにつながったきっかけについてお聞きしました。

取材先:小菅寿美さん(社会福祉法人岩沼市社会福祉協議会 職員)
取材日:2019年11月13日
取材・文:阿部夕紀

住民との協働で成り立つ仕事

 岩沼市社会福祉協議会の事務所は、太陽の光が入り込み、明るく開放的な空間です。ロビーでは、職員も来客者も、元気に挨拶を交わしています。
 「おはようございます!」と言いながらロビーに颯爽と現れたのは、岩沼社協の係長、小菅寿美さん。岩沼市出身で、社協職員としては23年目。人生の半分近くを岩沼市

の福祉の向上に捧げてきました。

 

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△気さくで笑顔が素敵な小菅さん

  みなさんは「社協」と聞くと、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
社協の仕事は、人々が地域で安心して暮らせるようにすることです。高齢者や障害者の支援、ボランティアセンターの運営等、活動内容はかなり多岐に渡ります。
 社協の業務について、小菅さんは「職員だけで担っているつもりはなく、地域の方やボランティアさんの協力があって成り立っています。いろんな方の力を借りながら一歩一歩進めています。」と真っすぐな眼差しで語ります。

 小菅さんが、地域住民やボランティア希望の方と接する上で大切にしていることは、「隠さないこと、本音で話すこと」だそう。
 同じ岩沼社協のスタッフも、「住民の方との集まりで小菅さんは進行役をやっていますが、素のままなんです!住民の方も身内と話すように小菅さんと会話してますよ。」と教えてくれました。

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△「岩沼市総合福祉センター iあいプラザ」の中に岩沼社協がある

「本音のコミュニケーション」の原点

 人とコニュミケーションを取る上でのこうした心がけについて、「3.11。これがきっかけで大きく変わりました」と言う小管さん。東日本大震災のときは、ボランティアセンターの立ち上げ・運営を行っていました。当時のことを「行政やNPO、ボランティアさんだったり、いろんな人が入り乱れる場で、何かを隠したり遠慮している場合ではなかった」と振り返ります。

 人との関係性を「徐々に築く」のではなく「すぐに築く」、さらに「築いた関係性を継続させる」ことが必要だった当時。小菅さんは、「本質を伝えてすぐに仲良くならないと協力を仰げない。良いことも悪いことも全てさらけ出していた。これが3.11で自然と身についたのかもしれません。」と話します。
 相手の要望をしっかり聴き寄り添うこと、自分の要望も遠慮せずに伝えることを徹底し、お互いにとって良いやり方・関係性を築いてきた小菅さん。
 この経験が、現在の小管さんの「本音で話すコミュニケーション」の原点なのです。

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△施設内の掲示板で、岩沼市内のボランティア・イベントなどの情報を知ることができる

 「自分の仕事がなくなること」が理想かもしれない

 現在、小菅さんが目指しているのは、「自分を含めた若い世代が住んでいたい、帰って来たい地域をつくる」こと。小管さんの2人の子どもも岩沼市で生まれ、ご自身が通ったのと同じ学校に通っています。子どもが生まれたことで、小菅さん自身も岩沼への愛着が一層増し、子どもにも将来は岩沼市で家庭を築いて欲しいという希望を持っているそうです。
 住民どうしが顔を合わせる機会が多く、お互いが話しやすい地域にすること。そして、社協や行政が関わらなくても、話し合い、助け合うことで課題を解決し、完結できる「地域力」を持つことが、若い世代にとっての「住みやすい地域」を実現するのでは?と小菅さんは考えています。
 「究極、社協がない世界がいいのかな?俺の仕事なくなっちゃうけど!」と笑いながら話す小菅さん。笑顔を絶やさず、ときには真剣に、ときにはユーモアを交えて語る様子が、彼の人柄や、住民との関わり方をそのまま表しているようでした。
 小菅さんは今日も、住民と共に笑顔で奔走します!