地星社のブログ

社会をよりよくする活動を行っている人や組織を支援する宮城の非営利組織、地星社のブログです。

子どもの貧困から考える社会的課題の設定のしかた

 生活困窮者自立支援制度が始まったことにより、各地で生活困窮家庭の子どもを対象とした学習支援事業が増えています。これについて問題提起しているブログ記事を見つけたのでご紹介します。一部引用しますが、詳細はリンク先の記事をご覧ください。

children.publishers.fm

しかし、貧困問題の捉え方に安易なケースがよく見受けられます。

①生活困窮者はお金がないので子どもを塾に通わせられない。
②そのため学習についていけず、学力が低迷する。
③その後の進学や就職で不利となり、貧困の連鎖へとつながる。
④その対策として、お金がない家庭でも通える無料の塾を提供する。

という考え方です。そのため、「無料塾」という実施形態に止まり、この貧困問題の複雑さを甘く見ていていると言わざるを得ません。

 

ともすれば、民間の個別指導塾のように懇切丁寧に教えすぎ、「教えられること」に依存体質にしてしまう恐れもあります。そんな状況で、結果としての「学力」があがっても、高校進学後やその後にサポートがなくなったら、そこで行き詰まるだけです。経済的に厳しい状況に置かれているからこそ、自発的に行動し、自らの成長をマネジメントできる習慣づけを、早期にしていくことが、貧困の連鎖から脱出するための最大の課題です。

 

 低所得世帯では学校外教育にかける支出が少ないことも、子どもの進学率が低いことも各種の統計から明らかです。中卒や高校中退だと、生涯所得が少なかったり、就ける職業が限られてくるというのも各種データから数字で明らかになっています。そこで、そうした生活困窮世帯の子どもに学習支援を行えば、学力も進学率も向上するでしょう。だから、子どもの貧困の捉え方として、各地の無料塾のロジック自体は間違ってはいません。

 しかし、より本質的な課題は何かということです。生活困窮家庭に育ち、何かを達成した経験が少なく、自己効力感が乏しい子どもの場合、懇切丁寧な学習支援が逆に自立性を奪うことにつながる可能性もあり、学力はついたが自ら何かを成し遂げる力はつかないおそれがあることを、この記事の筆者は指摘しています。

 社会問題をどういう視点から見て、社会的課題として何を設定するかで、取り組みの方向性や内容はだいぶ変わってきます。いくら客観的データにもとづいた取り組みだとしても、根底にある価値観は問われますし、支援者は支援における行動原則や価値を常に自問する必要があります。(布田)