地星社のブログ

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社会問題の捉え方:不登校の例から

 以前に、社会問題は人々の認識によってつくられるということを書きました。認識によってできるということは、その問題がどう認識されるかによってその捉えられ方も変わってくるということです。一つ、例として不登校の問題を挙げましょう。

 私は教育学専攻だったこともあり、その昔、大学の卒業論文では不登校をテーマに選びました。当時の大きな教育問題のひとつだったことが、不登校を卒論のテーマに選んだ理由でした。不登校の子を持つ親、小中学校の教師、そして一般の大学生を対象にアンケート調査を行い、不登校についてどのように認識しているかを比較しました。

 調査においてさまざまな質問をしましたが、いくつかの質問ではっきりとした違いが出ました。不登校の原因として、不登校児の親は「学校に問題があるため」との回答が多く、一方、教師では「家庭に問題があるため」との回答が多くありました。大学生はその中間でした。こうした傾向が出ることはある程度予測はしていましたが、実際に数字で違いが出るとこれほど違うのかという印象を受けました。このように、同じ社会問題でも違う捉え方がされることがあります。

 また、不登校は増えていると思うかという質問に対し、不登校児の親では「とても増えている」と答える傾向が強く出ました。その当時は、不登校の出現率はやや横ばい傾向で、全体で見ればとても増えているというほどではなかったのですが、不登校児の親の会に参加しているような保護者の方だと、不登校がすごく増えているように感じられたのでしょう。

 不登校になる原因はケースによってさまざまで、また複合的な要因であることも多く、一般的に何が原因とは言いにくいというのが今のところの私の意見です。それでも、当事者である親の側からすれば、「子どもには問題がないのに学校に行けないというのは学校に問題があるからだ」と考えがちでしょうし、教師の側からすれば、「他の子どもはちゃんと登校しているのに学校に来れないというのはその子自身や家庭に問題があるからだ」と考えがちです。

 当事者の立場になると、どうしてもその問題をその立場から捉えがちになります。NPOも当事者を代理する立場だと、やはりそうした傾向が出てきます。当事者は、社会的に弱い立場だったり、社会的に何らかの不利益を被っていたりするので、自分の立場から社会問題を捉えるのは必ずしも悪いことではありません。

 しかし、人間の特性として、自分の意見・考えを支持する情報は積極的に取り入れるものの、そうではない情報はなかなか視界に入らないという傾向があります。心理学の用語では確証バイアスと言いますが、そうした傾向があることを踏まえて、客観的な情報を集めるよう心がけるべきでしょう。(布田)